Jan 11, 2010

またすぐにスノーボードウェアが着たい

今年も寒くています。大抵の人は寒くなると嫌だと顔をしかめるかもしれないが、私はまた、スノーボードに行くことができるので、嬉しくて仕方ありません。私のスノーボードウェアは、黒を基調に赤とシルバーのラインが入った目にも光る姿は良いことです。早く雪が降り、スノーボードウェアを着て、滑りに行きたいです。
率直に言って、スノーボードと我が家では、10年に一回程度という感じになるのではないか。ことで、スノーボードに行こうとすると、スノーボードウェアをどうするかということです、非常に心配している。斜面妨害する。 、最終的に行かない。ここは思い切って、スノーボードウェアを購入し、毎年、スノーボードに行くのがいいんじゃないかと思っています。
 66回目の広島原爆の日を、東京電力福島第1原発事故に直面する福島県の被爆者は特別な思いで迎えた。19歳の時に広島で被爆した福島県原爆被害者協議会会長の山田舜(あきら)さん(85)は語る。「人生で2度も放射線に脅かされるとは。これまで8月6日に原発のことを頭に浮かべたことはなかったが、今年は違う。なぜ原爆が落とされたのか、そしてなぜ原発ができたのかを改めて考えざるをえない」

 山田さんはこの日、福島市の自宅のテレビで平和記念式典の様子を見ながら、核兵器廃絶の思いを込めて鎮魂の祈りをささげた。

 1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは熱を出して広島市の自宅で寝ていた。突然、閃光(せんこう)と爆風が襲った。しばらく縁の下に隠れた後、屋根に上って言葉を失った。見渡す限りの炎、炎、炎……。道路に放置された遺体の山が脳裏に焼き付いている。

 経済学者になり福島大学長などを歴任、81年からは県原爆被害者協議会の会長を務めるが、今回の原発事故は想像をはるかに超えるものだった。「原発は平和利用のためのもので原爆とは別だと思っていた。まさか放射性物質が飛び散る事態が起きるはずはないだろうと」

 事故は5カ月近くたった今も収束していない。「核分裂のエネルギーを利用する点で原爆も原発も全く同じ。人類は完全に核を制御できていないということが今回の事故ではっきりした。安全な技術を獲得できるまで原発の運転はやめなくては」と語る。

 原爆で焼け野原と化した広島と、避難のために一部地域から住民が消えた福島の光景が重なる。「放射線は影響が後からじわじわと出てくる。心配なのは若い人たち。住民の健康をきちんと行政がフォローするよう監視していくしかない」。深い思いを静かな口調で語った。【佐藤敬一】

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 大震災の甚大な被害を目の当たりにしたからこそ、なお罪深い原爆を思う。広島原爆の爆心から約1.6キロで被爆した宮城県の遺族、木村緋紗子(ひさこ)さん(74)=仙台市=は、夫由紀夫さん(66)とともに静かに目を閉じた。

 開業医だった父は往診中に被爆し、3日後に亡くなった。木村さんとともに被爆し、自宅に戻って6日後に亡くなるまで、傷が化膿(かのう)してひどい異臭がした祖父を「早く死んでくれれば」と思ったことを今も悔やむ。約20年前に宮城県原爆被害者の会で証言活動を始め、今は事務局長を務める。

 3月11日の東日本大震災を受け、安否確認のため沿岸の被爆者の元へ急いだ。テレビに映る被災地に被爆した広島を重ねていたが、足を踏み入れると、大きく異なる66年前の光景がよみがえった。あの焦土には累々と焼死体が重なっていた。ひどいやけどの人に「助けて」と足をつかまれた。どんな災害と比べても、原爆被害の悲惨さはやはり際立っていると思う。

 原発事故後は証言活動の中で「原爆も原発も放射能は一緒です。核はいけない」と子どもたちに伝えるようになった。平和宣言に「脱原発」を盛り込むかどうかなどが議論された夏。ただ「今日は原発を議論する日でなく、原爆の日。広島と長崎で亡くなった人々のために祈りたい」という。結婚前に「被爆した」と明かした自分を受け入れ、今パーキンソン病を患う夫とともに献花した。

 原発事故に遭って「核について考えねば」と、初めて広島を訪れた福島県の酒井浩三さん(54)=福島市。改めて、昨年85歳で逝った父佑三さんを思う。20歳の時に被爆した父だが、酒井さんが10代のころ被爆体験を尋ねると、「原爆のことは話したくない」と固く口を閉ざした。福島第1原発から約60キロの自宅で、見えぬ放射線に不安を抱えて暮らす今、「嫌な思いをたくさんしたのだろうか。父の気持ちが分かる気がする」。原爆ドームを目に焼き付けて帰るつもりだ。

 岩手県の高橋洋子さん(59)=釜石市=の父藤井虎雄さんは、旧陸軍兵士で19歳の時に被爆した。60代で肺がんを患い、被爆者健康手帳を持っていたが、やはり体験を語らぬまま75歳で死去した。3月11日、市中心部にある自宅の100メートル手前まで津波が迫った。市内の死者・行方不明者は1100人以上。友人も亡くした。66年前にも艦砲射撃で焼け野原になった釜石は「また何もなくなった」。父はなぜ語らなかったのか。広島の人々は焼け野原でどう生きたのか。まちの再出発へ糸口をつかみたいと思う。【加藤小夜、寺岡俊、村本聡】

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