Aug 21, 2010

レンタルサーバーの選択は、webページに合ったものを選びましょう

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 ◇ぼくだけの鼻−−西条市立東予西中2年・吉田昌広さん
 内供は、ずっと哂(わら)われてきた。というよりは、ほぼ五十年間、「哂われている」と感じてきた。
 ぼくは、この「鼻」を読んで、「哂う」という言葉を初めて知った。漢和辞典で調べて、いろいろな「わらう」があることに驚いた。
「笑う」は、最も一般的だが、「咲う」とも書き、「うれしいときやおかしいとき、口をすぼめてほほとわらう」という意味だ。それに対し、「哂う」は、「歯のあいだから息をもらしてふくみ笑いをする。あざわらう」とある。
 「ふくみ笑い」だから、大きな声が出るわけではない。まして、「内供」というのは、位の高い僧だから、直接「哂う」人は、まずいないだろう。内供の鼻に大きな変化が現れるまで、内供を哂う人の様子は、話に出てこない。しかし、デリケイトな内供の自尊心は、さまざまな方法で「自尊心の毀損(きそん)を恢復(かいふく)しよう」と試みながら、「哂われている」と自分自身に意識させていたのではないだろうか。
 もちろん、そう感じずにはいられないような、人の目つきや気配もあったとは思う。ぼくが、内供を実際に見かけたら、どうだろう。鼻の長さには、内心かなりびっくりするにちがいない。そして、内供がまじめに、鼻を短く見せる方法を考えたり、自分と同じ鼻をさがしたり、不思議な方法で鼻を短くしようとするところは、なんだかおかしいなと思ってしまう。いろんな苦労を考えると、哀(かな)しいような気もする。心配や同情などの視線も入りまじって、内供の自尊心は、やはり「哂われている」と感じたのだろうか。
 その後、内供の鼻は、大きく変化する。ゆでられ、ふまれて、うそのように短くなった鼻。「こうなれば、もうだれも哂うものはないにちがいない。」と満足そうな内供だったが、二、三日経(た)つと、哂いも変わったことに気付く。
 「ー前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。」と内供が感じるように、この「哂い」は、「あざわらう」という意味があてはまるように思える。じろじろ内供の鼻ばかりながめたり、くすくす笑い出したり、「鼻を打たれまい」とはやしながら犬をおいまわしたりして、内供が不快に思うのは当然だ。
 それは、本当にいやな哂いだと思うが、作者が「傍観者の利己主義」といい、「不幸を切りぬけた人に対して、なんとなく物足りない心もちがする」と説明した、人間の心理の部分を読むと、そうかもしれないという気持ちになる。ぼくも、人を「哂う」可能性があるのだ。そう思うと、人間の心の複雑さ、「哂い」の怖さを改めて感じてしまう。
 再び内供の鼻は長くなった。そして、「鼻が短くなったときと同じような、はればれとした心もち」になったとあるが、ぼくは、同じ「心もち」ではないと思う。鼻が長くなったら、もう哂われないと考えたからだろうか。十七センチの鼻は、今後もやはり目立つだろう。「哂われる可能性」は以前と変わらないとしたら、変わったのは、内供の意識ということになる。
 内供にとって、「鼻」とは何なのか。ずっとコンプレックスの対象であり続けたものが、「本来の自分の象徴」としてとらえ直されたと言えないだろうか。もちろん、内供は、自分の鼻を好きになったわけではない。これからも、哂われる可能性はあるだろう。しかし、確かに違うのは、今まで鼻を、というか自分を縛っていたプライドのくさりがもはや内供からはずれているということだ。「鼻」は、長い回り道をして、やっと、「内供の鼻」になれたのだと思う。
 振り返って、ぼくの「鼻」は、どうなのかと自分に問いかけてみる。いつも「鼻」を気にしながら、周囲の人には気にしていると思われないように注意を払っているところは、以前の内供によく似ている。ただ、ぼくの「鼻」は、見えない「鼻」だ。心の奥に潜んでいて目立たないが、「おまえはだめだ」とぼくをけなし、ぼくのプライドは、「だめなぼく」を哂われないよう、きつく縛って、思うように動けなくなる時がある。
 これから先、ぼくの人生に、内供の鼻のような大きな変化は起こりそうにない。そして、鼻を哂われないように隠そうとし続けるだろう。しかし、時間をかけて、「自分の鼻」を得た内供に、ぼくは、ある勇気をもらったような気がする。最後の場面で、「長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら」立っている内供。重苦しくたれさがっていた鼻を、ぶらつかせることができたのは、内供自身だ。変化は、自分の心の中で起こすものだと思う。ぼくも、あせることなく、自分の「鼻」と向き合い、ゆっくりと自分を縛るものを解きほぐしながら、「ぼくだけの鼻」を大切にしていこうと心に決めている。
 「鼻」芥川龍之介(金の星社)

3月9日朝刊

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